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~チュークの専門旅行会社~
視察Report
チューク再訪はボコボコの穴だらけの道が出迎え(笑)チュークへは15年ぶりくらいの再訪です。とても綺麗な街並みというイメージが強く残っていたので、そのイメージでモエン島の観光へ出発です。しかし・・・道の悪さにビックリです。大小ボコボコの穴だらけでオフロードの道を走っているようです。同じミクロネシア連邦のヤップ・ポナペ・そしてコスラエでは、道は綺麗に舗装されているのでちょっと驚きです。
ただ、これはこれで日本では味わえない悪路の為、逆に面白いのですが・・・。チュークでも、やっと7年の長期計画で道の舗装工事がこれから始まるようです。
プラスティックごみの多さにビックリしてしまいます(悲)次に目にするのがゴミの多さです。主な食生活はタロイモやタピオカ・パンの実・そしてお魚類ですので、そこから生じるゴミなどは全て自然に帰るのですが、それ以外のプラスチック製品や廃棄された車なども、同じ様にところ構わず捨ててしまう様です。何か対策を考えないとせっかくの美しい楽園に悪評が立たないとも限りません。
この様な意味では他の島に1歩も2歩も遅れを取っているチュークと感じてしまいます。残念!ヤップ島では学校の生徒に石畳の小道(ヤップ伝統の村々をつなぐ石畳の道です)のゴミ拾いや雑草取りをしたりして、島の美化運動を通じて伝統を守っていく気持ちを感じてもらう課外授業があるそうです。この様な活動はきっとチュークでも出来ると思うので、是非学校の先生や政府にお願いをしたいです。
ローカルの生活に密着したお店が多くあって面白いですさて、チューク モエン島の一番の繁華街エリアにやってきます。車を降りてローカルのお店の散策です。道沿いに出店というかバラックのような小屋がズッと並んでいます。そこではバナナの葉でくるんだパンの実・パパイヤ・ココナッツ・竹の皮でくるんだマングローブ蟹・大きなクーラーボックスもずらりと並んでいてその中には美味しそうなカツオや日本であれば高級魚のハタ類がぎっしり詰まってますよ。面白かったのは小さなアジの開きも袋に詰まって売られています。
また、ローカルはきっと好きなんだろうな~と思う健康に悪そうな油ギトギトのドーナツも目立つようにお店に吊るされてます。そして、ガスなどはまだ各家庭には行き届いていない為、マキも詰まれて販売してます。観光客用のお店ではなくローカルの生活に密着したお店が見れますので、とても面白いです。
の~んびりと商売をするチュークのスタイル売れるまで朝から夕刻までのんびり座って販売している感じで、日本のようにノルマがあって必死にものを売っているという事もないようです。恐らく毎日同じものを商品として販売しているのだと思います。品物がなければ販売をしないだけで、特に困った~と頭をかかえるでも無く、日本の商売とは随分違うな~と感じます。
店の規模にしてはたくさんのローカルがいるな~と思って末永さん(現地旅行会社 トラックオーシャンサービスの方でチュークに30年在住。何でも分ります。)にお聞きすると、彼らの中にはモエン島とは別の島からボートで物資を運んで販売をしている人もいるし、それに便乗してモエン島へやってきてただそこにたむろしている人も多い為との事。少し奥には港があるのですが、小型のボートがビッシリと係留しているのが見えるのでうなずけます。
家族皆で支える文化がまだチュークには根強く残っていますね彼らのほとんどは若い男性です。働けば良いのに!と思うのですが、仕事自体が島にない為、時間を持て余して賑やかなモエン島へやって来る若者なのでしょう。将来の希望などもきっと彼らにもあると思うのですが、働かずともファミリーで助け合って生活出来てしまう事から衣食住には困らないようで、何となく流されて日々を送っている。という様に見えてしまいます。
2・3日程度ならこの様な何のプレッシャーもない南国の生活も良いでしょうが、働かざるもの食うべからずで、何か社会に役立つ仕事をきっと自分であれば見つけるだろうな・・・とお国の違いを実感です。ただ、彼らには日本ではもう失ってしまった、家族で支えあって生きていく。何か困った時にも皆で助け合って生きていく。という生活文化がまだまだ残っていますので、こういう面ではとても心が豊な人たちだな~と羨ましさも一方で感じます。
国際線の滑走路は日本軍が戦時中に利用していた!繁華街エリアを抜けてザビエル高校へ向かいます。途中 グアムから降り立った空港横の道を通過していきますが、この空港は日本軍が戦時中に利用していた滑走路である事の説明を受け、ビックリです。ちなみにチューク環礁には各島含めて全部で7つの空港があって、現在の国際空港以外はその滑走路跡のみとの事。これら滑走路は、当時日本で罪を犯した犯罪者が本土から送られて来て、日本兵がその犯罪者の日本人を使って建設したものとの事です。その数3,000人。
話を伺うと日本兵は彼らを人間扱いしない過酷な労働を強いたようで、戦争に負けて日本へ帰還する時には、その数僅か280人にまでなっていたそうです。当時を知るローカルの方からは同じ日本人同士で見るに耐えない仕打ちをしていたとの事。
例えば、1日1食で炎天下労働をさせ、何か気に入らない事があると、硬い棒で何度も殴り、ある日本兵はあいつは何回殴って死んだ。俺は何回だ。等という事が平気で行われていたそうです。日本兵こそ犯罪者で過酷労働を強いられれば良いのに!と憤りを感じます。彼らを祭った碑もありますので、そちらにも立ち寄っていただきたいです。
案内を受けなければ見過ごしてしまう戦争跡も多く残っていますその他ですと繁華街からすぐのところに春島中村桟橋というエリアがあって、カマボコ状のドーム型の大きな倉庫も目に出来ます。これは戦争に負けて日本軍がアメリカ兵の捕虜に一時なった際の日本軍の捕虜収容所だったそうです。説明を受けなければただの古い倉庫として通り過ぎてしまいます。
小さな街の到る所に戦時下のものが残っているのと、そこにまつわる話もとても深く興味をお聞きしながら観光が進みます。また、少しメイン通りから奥に入ると絵本の中で見るのとそっくりな大木のマンゴー樹木・大きなパンの樹などが到る所にあります。落ち着いた南国の風景も楽しめますヨ!
ザビエル高校のある高台からの眺めはとても良いですね(気持ちが良いです)相変わらずのガタガタ道でやっとザビエル高校へ到着です。高台にあるだけあって眺めはとても良いです。目の前には夏島。遠くに小さな無人島のオローラ フォノムーアイランド島 更にその先のジープ島までもクリアーに望めます。春島にはまだ全島に道路が開通していない様で、マングローブの道や海岸線を歩いての自然ハイキングなども楽しめるようです。眼下に育っているそのマングローブの森もとても元気に見えています。
校舎内には爆撃を受けた鉄筋がぐちゃぐちゃのままに残っていますザビエル高校は戦争当時、日本の通信司令部だったところのようで、とっても分厚いコンクリート(30cm以上はあります)の壁で頑丈に造られた鉄筋の入った建物です。扉や窓も鉄の防御となっています。大きな爆撃を3発受けたそうです。その爆撃を受けた1箇所も見る事が出来るのですが、大きなえぐられた様な穴があって鉄筋がグチャグチャになってそのままの状態で残っています。
建物の頑丈さはもちろんと当時よくこの様な建物を建てることが出来たな~と感心してしまいます。そしてこれだけの要塞も意味の無いほどにアメリカ軍に打ちのめされたのですから、チューク海域での戦争は相当激しい攻撃を受けたんだろうな~と容易に伺えます。ダイビングポイントで沈船が40以上もあるのですから、海ではもっと凄まじかったんだろうなと思います。
ミクロネシアの綺麗なデザインの切手がお土産にはお奨めお土産屋さんは街中に僅かに民芸品がある程度で、残念ながらショッピングには期待しないほうが良いです。ブルーラグンリゾート内にも少し民芸品もありますが、ほとんど同じものが販売されています。唯一 郵便局でチュークに限った事ではないですが、ミクロネシアの島々ではとても綺麗なデザインの切手が販売されてます。お土産にも良いと思います。私も貝の綺麗な切手を2つほど購入です!
チューク視察レポート